Mahoko Blog

7年目のアメリカ音楽留学生活...奇想天外な日々の中で感じたことをじっくり反芻しながら、丁寧に生きる。

たらればの話はやめよう

 

それはもう過ぎたこと。

過去を嘆いて、勝手に心をざわつかせたところで、命ある私は、目の前の1分1秒を、また生きていかなくてはならず... 時間は流れて、地球はちゃんとまわる。

 

 

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私は”嫌い”という言葉をあまり使わない。

”嫌い”は、モノゴトを完全に否定し拒絶する 強い言葉だと思っているからだ。シャッターをガラガッシャンと下ろして、相手を跳ね除けてしまう。そして、おそらく そのシャッターはしばらくそう簡単には開かない。

 

食べ物の好き嫌いにしたって、”嫌い”な人はとことん”嫌い”だ。

たとえば、私が中高と住んでいた学生寮では、食べ物を残すことはよくない事だった。中3の頃、同級生の一人と同じテーブルに着いていたら、その子が「グリンピースが嫌い」と言った。私は、当時 豆類があまり得意ではなく、頑張って食べて気分が悪くなったこともあったのだが、”嫌い”だとは思っていなかった。「ちょっと手伝おうか?」と言うと、彼女はせっせと私のお皿にグリンピースを移し始めた。彼女は自分のぎせい豆腐を切り崩してまで、グリーンピースをほじくり出し、小さな破片も薄グリーンの薄皮も、まるで何かの仇のように念入りに、お箸で摘み出しては、ひたすら私のお皿に運んできたのだった。10年以上経った今でも、彼女の箸さばきと、私の薄緑色のメイン皿の画が忘れられない。これが”嫌い”と言う人の執念だ。

 

つい先日も、アメリカ人の知人達と うちで食事をしていたのだが、私が作ったサラダからトマトだけを綺麗に選り出し、さっとキッチンのゴミ箱に捨てに行った人がいた。彼は「生のトマトが嫌いだ」と言った。確か、彼は今68歳なのだが、そんな大の大人に摘み出された、大皿の淵のトマトの整列...その部分だけ、トマトの赤が白いお皿によく映えていたのが印象的だった。同時に ”まぁ頑固なもんだな”と、心の中で人生の先輩に対して 呆れたのも正直なところだ。

 

私は、春菊が苦手だ。アメリカで暮らし始めてから、お目にかかることはないが、あれは...大人の食べ物だ。でも、食卓に上れば 毎度少しは口に入れてみる。そして、”やっぱり私にはまだ早いな..”と思うのだが、”嫌い”な食べ物として、認めてはいない。いつかもっと美味しい春菊料理に出会えるかもしれないし、旬のものが美味しく味わえる年齢に 自分もきっとすぐなるからだ。”嫌い”と拒絶し、口を閉ざしては、そのチャンスも失ってしまう。私は食べることが好きだから、それは避けたい。

 

ちなみに、アメリカにいると、それこそ、宗教や信仰的な理由によって、又は 病気やアレルギーなどの体質で、”好き-嫌い”,”できる-できない”ではなく、”する-しない”とはっきり線引きをして 誇りを持って生きている人が沢山いて、私はそれをとても尊い事だと感じているのだが、それは”嫌い”と拒絶する事とは また違う話だ。

  

何かを嫌うことは、とても寂しく、そしてとてもエネルギーのいることだ。

 

2013年に渡米して、そのまさに留学1年目。希望と期待で眩しく始まった新天地での学生生活だったが、生真面目で、自分を守る術を知らなかった私は、あっさり外国人としてアメリカの洗礼を受け、同じ日本人からもイジメられ すんなり騙されてしまった。自分がこんなにも深く、他人に対して怒り、憎しみ嫌うことがあるのかと驚くほど。どう頑張っても納得できない理不尽さに、私の身体は毎日のようにわなわな震え、毎晩家に帰ってはしくしく泣き、人と話そうにも 言葉がうまく出てこなくなった。私のたった30年の人生を思い返して、こんなにもはっきりとモノゴトに対して嫌悪感を抱いたのは、あの2年間だけだ。

 

人の悪口を言ってはいけませんよ。思いやりを持ちなさい。相手の気持ちも想像して、考えてごらんなさい。

そうやって育った。

 

でも、あの時、もっと声を大にして、

「私は傷ついていて、苦しくて、毎日 辛くて、そしてそして あんた達のことが大嫌いだ!」

と言うことが出来ていたら、もっと違う学生生活を送れていたのだろうか。売られた喧嘩を買っていたら、スッキリ出来ただろうか。弁護士に訴えていたら、私はもっと早く立ち直れていただろうか。本当は、こんなこと言ってやりたかった。一発かましたかった。会話の録音を理事長に送りつけてやればよかった。

 

たらればの話は尽きない。

そして惨めになる。

 

しかし、あの経験は 私にとっての”嫌い”ボーダーラインになった。あれくらい理不尽で、心も身体も受けつけない程の嫌な思いをしたのなら、”嫌い”って言う!それでいいんだ。

 

それでもたらればの話は尽きない。

悔しいんだ。

それにしても、何かを嫌うことは疲れる。

 

私は音楽大学という所に10年間在籍し、自他共に認める”ガリ勉”学生として、日本で1つ アメリカで3つの大学を出たのだが、今日は最後の卒業式からちょうど3ヶ月経ったところだ。決して 遊ぶ為に大学に行っていた訳ではなかったので、最後の卒業式後の解放感は、今でもうまく言い表せない。

 

そして、この3ヶ月 私は何も出来なかった。

 

2ヶ月前、突然大切な人を失った。大家さん兼ルームメイトで、私のアメリカのお母さん、5年間一緒に住んできた。進学しても、学校が変わっても、大きな舞台やコンクールのあった日だって、帰ってくる家はいつも一緒だった。学生の身分がすっかり了って、まずやりたかった事は、彼女とゆっくり時間を過ごして、いっぱい話をして、今までの感謝を伝える事だったのに、私の学生生活を見届けたかのように逝ってしまった。もっと毎日早く帰ってきて 一緒にご飯を食べればよかった。もっと面白いネタを集めては 話して笑わせてあげたかった。もっとお花をプレゼントしてあげたかった。一緒にあちこち行きたかった。料理を教えて欲しかったし、聞きたいことがいっぱいあった。もっともっと家のお手伝いをしてあげればよかったな。

 

たらればは尽きない。

そして、切なくて苦しくなる。

人を愛おしく想えることは ありがたいことだ。

 

 

たらればの話はやめよう。

それは過ぎだこと。

 

過去を嘆いて、勝手に心をざわつかせたところで、命ある私は、目の前の1分1秒を、また生きていかなくてはならず... 時間は流れて、地球はちゃんとまわる。今思い返しても不思議だが、亡くなる日の朝、家を出る前 ダイニングでルームメイトが私に言った。

「まほこ、やりたいことやりなさい。あなたの人生なんだから、思いっきり楽しみなさいよ。」と。

 

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